■禁断の夢物語 PUNIC

■禁断の夢物語 iMac


■禁断の夢物語 PUNIC

Punicが我が家にやってきて早一年が過ぎた。

もともとパソコンは小学生の頃からプログラミングしていたし、玩具の一つだった。

別の見方をすれば、僕が初めて大金をはたいて購入したものでもある。むろん自分の稼ぎで。そのめんからしてもある種の我が人生における金字塔の一つかもしれない。

ただ、あくまでも僕の創作活動のツールの一つであって、僕を表現するための道具である。0or1の考え方では生み出し切れない世界がある。

今でも手書きのイラストやデッサンはあるし、作詞も手書き。

いかにうまく利用するかなんだよね。

MACと初めて出会ったのはいつか分からない。

ただ、敬愛する藤井フミヤ氏がCGをMacというものでやっていると耳にし、個展に赴いたり、滋賀県の美術館に作家の原画展を見にいって、その中にCG作品があったり、そして、我が最愛のスイッチョンがYMCA退職前後にMacというものの}Photoshop}というので写真をいじれるからやりたいといっていたのが一番身近で具体的なことか?

彼女は退職金で日本MACの最高普及機種[LC630]を購入している。

それから約10カ月して僕も悩んだ末に[Power Mac7500/100]を購入したんだ。

もの創りがしたくて印刷会社に入ったのも運命かな?

音楽・出版・印刷業界ではMacがあたりまえの標準だもの。

そして10月に名古屋支店にMAC2台が来て扱うようになった。代表で講習に参加したことも伯車をかけたね。

お客さんであってパソコンの師匠であるYMCAの山田正章さんに何かと相談に乗っていただけて習得してきた。奥が深いしオタッキーな僕にはうってつけの世界でもあるからさ。

僕はSSSという同人誌(?)を作ってきた。

それをフルカラーでやりたくて、そしてオリジナルアルバムが作りたくてMac購入を決めた。

当時、約50万で一式購入した。

こいつはインテリア?僕のハートを映し出してより広げるハードだ。

わずか一年といえど、コンピュータ業界は生成流転。

このMacも当初の目的から徐々にそれてコミュニケーションツールにもなっている。

が、なんとかDTMに3Dという目的を果たさないとね。

よりパワーアップしてさ。

1996.12.16安藤裕一


■禁断の夢物語 iMac

1998年8月29日午後3時。

ボクは人込みの中でオーストラリアのビーチの色と氷の白さを持ったマシンのマウスを手にしてた。

「あいたかったぜ」

そう思いつつも、こんなものかとも思う。

整理券を持って最初に並んでかった若者にAPPLE社員と名乗るオッサンが「私の独断でって」時計をプレゼントしていた。

家族連れが多いネ。

中には全国の知人と連絡をとってかう場所を悩んでいるグループもいた。

よくも悪くもハッピーバースデー。

アップルジャパンのやり方は最低だけどさ。

大須の他のAPPLE販売店の淋しいこと。

気になるのは匡体の弱さ、マウスは小さく重い。

モニターは15インチといえこんなもの。

なによりも性能と価格がすべてのマシンだね。

インテリアとしてほしいよ。

SONYのVAIOにゃやられた気がしていたけど、かったネ。

Power Bookでそう想い、今日確信したよ。

勝ち負けじゃないけどさ、ボクはMACを愛している。

このマシンみていてそう思った。

でもボクは年末にアメリカでこいつが1000ドルになった時か、その時に発表される次期iMac、そして来年のコンシューマー向けポータブルマシンを待っている。

それまではいまのPM7500をG3/266くらいにしてHD増設2〜3GB、VRAM2MB増設

といきたものだ。

学校や企業のLANでこいつが並んでいたらカッコイイネ。

もしもボクが結婚して子供が出来たらかってあげたいな。

Say Hello,iMac