エピローグ1
アテネ星で吟遊詩人オスカルとファティマ・アステリアを白亜のMHアストライアと共に回収した戦艦アシーナはそのまま成層圏を突き抜けて一路隣星のシェーンブルンへと向い、その途中で同じく帰還の途にあったAKD(アマテラス・キングダム・ディメンス)総旗艦である天照帝のベルクレールと併進していた。
シェーンブルン星は今や天照帝の下に統合された惑星国家とも言える。バイストンウェル王国はグリース王国とも友好が深く、AKDの中心国家であってN02にある。むしろ国力や伝統から言えば惑星一であろう。本来ならば・・・故に今の王家群にしてみればこの普通の伯爵の行動も不自然で歪んだレンズに拡大されてしまう。
今の彼に敵は多い。
もっとも現在の彼の立場はバイストンウェル王国近衛師団所属AKD統合本部詰になってる。
国家の代表としてAKDとい連邦の軍首脳に近いのだから主君である天照とのやり取りは自然なはずだった。
何しても若くして天才的知略と技量で皇帝や国王の寵愛を受ける彼を妬む旧態依然とした勢力は国内外にひしめき合ってる。
「ふっ・・・」
小さく光る無数の星の海の中では些細なことなのにと笑うしかなかった。
「オスカル、確かにお預かりしよう」
スクリーンから天照帝がはかない微笑みを消す。
無機質なグレーの幕が降りたようだった。
[オスカル]の銘を口にした帝の思いか推し量られる。
伯爵は視線を窓の外の孤空へと流す。
その間に小型シャトルが数回行き来していた。
日々の業務もさることながら、アステリアを天照帝と妹ラキシスの下へ身を寄せさせるためである。
「よろしいのですか、閣下?」
「うん、これが一番問題がないよ」
「ですが・・・」
月の女神アルテミスは自分が恋敵の心を気遣っていることに葛藤しつつもそれに気付かない主にブイっと頬を膨らましたくもなる。が、可愛らしい少女を装って副官らしく窓の向こうで白い帆船に吸い込まれる小さなボートを見守る主の背中を見つめていた。
きっとシャトルの中でもあの女の子がこちらを窓に両手を張り付けて見ていることだろう。
せっかく危険を乗り越えて一緒になれたのにまた引き離されてしまう。
幼い少女にとってこれは苦痛であり、不安にさせるものだろう。
それでもクリスタル伯爵アンソニーは気付いているのかどうかはともかく、その決断を下し、少女も受け入れた。
「信じあっているからさ」
そう笑う若き英雄が恨めしかった。
「オスカル様・・いえ、アンソニー様・・・わたし・・・」
「ごめんねアステリア、ちょっとシンデレラ城見物しておいで。」
「はい・・・」
「すぐ迎えにいくよ。いきなりこの船で入国するとヤバイから」
そんな会話をしていたこの男は何を考えているのだろう。
今いるクリスタル伯爵は本来のその人である。影武者ではない。
「こうなるのなら、もっと早く国内を片付けておくんだった」
「ヴィスタイク家一党は今のところ穏やかですが・・・」
「そうだね、でも、まだまだ数年は収まりはしないよ」
「閣下」
「大丈夫だよ、アルテミス。本国ではデュークが取り仕切ってくれて受け入れ準備をしているはずだ。あの娘の件も手筈に入っているだろう。僕がこうするだろうとネ」
「信頼されているのですね、セレイシュール殿を」
「君達をだよ」
そんな二人を艦長席にて入国の確認をしていた宇宙艦隊司令官ラーミアは何も言わず見やると老艦長に指示を出して自分は自室へと戻り、本来の艦隊運営への業務に忙殺された。国内に敵の多いクリスタル伯一派にとっては気の休まる時はない。当分恋愛なんてないだろうと苦笑するが、彼女達こそ心から水晶の伯爵を愛しているのだろう。
『私達はあの方を愛している。そのお陰でいい人生を歩めているのね。酔える未来を』
天空を駆け抜けるワルキューレのように大きい髪飾りを亜麻色の髪に刺し、プラチナのヘアバンドを額に頂く彼女は神々しくもある。だてにアンソニーの艦隊を預かりはしまい。どんぐりまなこの女の子。栗色よりもブラウンに近い柔らかい髪を束ねている。
「ただ、心配なのはヴィスタイク亜流政権の連中じゃなくて、アステリアを天照がどうするか・・・」
「あの方は閣下の後ろ楯、下手なことはなさられません」
「うん、そうなんだけど・・・」
「他に御心配でも?」
「う・・・その・・・妬いてないかな?」
冗談でも言っているかと顔を覗き込んだが、彼は恋人を心配する少年の表情で親指の爪を噛んで考えこんでいた。マジだ。
さすがの彼女でもどういっていいのか気持ちを整理するのに時間がかかる。とっさに友人に助けを求めようと思ったが視線を外せなかった。
幼い頃から見せる素朴な少年の素顔がやるせない。
まさか、敬愛するこの男が帝と・・・????
『あぁ・・・オスカル・・・ 』
『・・・アマテラス・・・ 』
妙に艶かしい吐息が耳にこだまする。幻聴だ。いやな妄想を思わずかき消した。そんな仕草に気付かない伯爵はまだ遠ざかる戦艦を眺めている。
あの皇帝が、美しくも永久の寿命を持つ化け物が自分と同じ嫉妬を抱くなんて・・・
きっと今頃は本国で出迎えの準備やら事後処理やらで本来同行すべき首席副官の騎士、デューク・セレイシュールが駆け回って手筈を整えているのだろう。彼がきっと一番嫉妬していると思えたが、その交錯する思い故に理知的に仕上げているだろう。
その裏ではイース首領にして司政官であるイーナ・ハークネス女伯爵が無理矢理引き止めて愛人であるアンソニー不在の合間に互いの嫉妬の焔を交え合ってるのではないと勘ぐりたくもなる。
『あのひともアンソニー様のことを思いつづけておいでだから・・・ 』
豪快豪傑レディのイーナには誰も適うまい。
アルテミスは近づいて大きく視界いっぱいに広がる青い星を見てそう思った。
「あの方は不思議よね」
「ラーミア?」
さすがに勤務中でもあり、カクテルグラス片手にという訳にはいかない。
頬に手を当ててラーミアの顔を覗き込む。
「デューク・セレイシュール中佐・・・ほとんど片時も傍を離れられないのに今回は残留なんて」
「あの方が少女を娶られるのを見たくなかったのでしょう」
「私も見たくなかったわ・・・」
「アルテミス?ラダマンテュス殿が妬きますよ」
「私はそんな関係じゃないもの。」
「そうかしら・・・私だったらラダマンテュス殿でもいいわよ」
「え?」
「冗談よ。私はあの方についていくから・・・」
恋の鞘当てである時代の方がきっと幸せなのかもしれない。
実際、彼女たちの器量からすれば引く手数多だろうに。
『そういえばエスメラルダ様はどうお考えなのかしら・・・あの方もかつディンギル星で閣下と同棲されていたはず・・・ 』
◆
戦艦アシーナが水晶の都の東方、北東軍港クリュミールへと降下していく。フィロソフィア湾の水面にきらめく日差しを乱反射させ天女のように優雅に翼を広げ、帆に風を受けて舞い降りる。
夏の雲が西へ流れていった。
WAWAWAWA・・・・言葉にならないどよめきと歓声の嵐がアイドリングする船のエンジンをも包み隠した。ルビーの光の様な女神の船が静かに帆を休める。
クリスタル伯爵アンソニーは熱風に髪をかきあげて空を見上げ、タラップの先に集まる兵士達の視線に片手を上げて答える。
「デューク」
「お帰りなさいませ、クリスタル伯。ご無事でなによりです」
騎士としての正装で首席副官、総参謀長でもある腹心のデューク・セレイシュールが高原に吹くそよ風という印象に恥じない笑顔で出迎えに立った。
「お疲れ様です、アルテミス様」
主の後ろに連れ添うように立つ少女にも屈託のない笑顔を向けた。
「受け入れ体制、ご苦労様です」
「どういたしまして」
階級や立場はデュークが上でも相手は上級貴族の令嬢である。そのあたりはわきまえている二人だったしアンソニーも何も言わない。
数分後、エリィもタラップを降りてきて主の背後に立った。彼女は道中ほとんどをMHの調整に没頭していたようだ。
後のバイストンウェル軍開発局長リィーア・エックスは主に二・三報告を済ませると部下の列に加わった。
「ラーミアはすぐにも宇宙へ飛び立つよ」
「御意」
「では行きましょうか?」
一行は更に先に降り立っていたシド・ディアスクロイ、ロムルや冥界の王ラダマンテュスらの出迎え・警護を受けながら押し寄せる兵達の間を抜けて軍港を出ると三台のランドカーで居城のある水晶の街へ向かった。
本当はもっと色々と親友と話がしたかったが、敵の目を考えると軽率な行動はできない。そのためにこそアステリアをも同行させなかったのだ。
「成層圏に突入する直前に天照帝の船と接舷されましたね?」
「うん。あの娘をちょっと寄り道させたんだ」
「わざと本星空域で示威行動のように余裕を示したのでしょう?」
「やっぱりヴィスタイク家の奴らには分からせてやらないと」
「焦りは駄目ですよ。王都では現国王ツァン陛下が側近の具申に怪訝な顔をされているといいます。水晶宮にも通信が入っておりました」
「ごめんよ。どうもお前が傍にいないと無茶をするらしい」
「閣下」
「本心だよ。ともかく、明後日くらいに浮遊城までアステリアを迎えに行ってやってくれないかな?」
「・・・既にイース騎士が二名向かっておりますが?」
「ちゃっかりしているね」
「貴方が熱を上げて現実に白昼夢を見て踊っておいでだから気でも振れたのかと案じておりました」
「酷いなぁ、僕を信じてくれないの?」
「女の子にうつつを抜かしていいる骨抜けは知りません」
「妬いているの?」
「閣下!!」
クールにそっぽを向いて軽くあしらう副官もきっとなって反応したのが面白かった。
軽口を叩き合って彼等はこれまで幾多の死線をくぐり抜けて地位を築いて来た。
「無論、貴方の身の周りが落ち着けてすぐにも私がお迎えに上がります」
「ありがとう」
「貴方の望みならば」
にっこり微笑む友人の瞳がかすかに潤んでいる。
遠い日の誓約は永久の魂を束縛する。
クリスタル市長としての職務を片付ける若者は活気だっていた。
若くして国家の重責を担う地位は断絶してたクリスタル伯爵家の再興に始まる。
後楯に天照帝がついていることからも色々な柵を生んでいる。
だが、何とってもその行政能力は騎士や戦闘指揮官として以上に評価されている。
「閣下、午後にはラカンシェルへ」
「了解」
彼はあの娘を愛してはいまい。心の底からの愛情なんて知らないのだろう。
彼に甘えてくれて、頼ってくれる存在でありながら本人は隠しているつもりなのだが心の支えになる女を必要としている。
筆頭秘書官でもあるデュークもその手際の良さに唖然とするしかなかった。
「女がこうも男を変えるのかな」
皮肉であり嫉妬だろう。実際自分も唯一人の女性に心縛られている。それを改めて実感しては友の横顔をまじまじと眺めるのだった。
「どうかしたのか?」
「いいえ、さぁ、早く片付けましょう」
「ああ」
ただ 半日過ぎてもローザのことには一言も触れない男の心の重さを推し量ると副官としても辛い。
居室には二人きり、午後のスケジュールの確認を終えて休憩のお茶を侍女が運んできたところだった。一礼して退室するのを見計ってデュークもソファに腰を沈めた。
「よろしくね」
「私が不在でも業務を滞りなく、スケジュールはこなしてくださいね」
「心配ないよ、ほら、予定以上に処理しているだろ」
<この男は私に女を迎えにいかせるために真面目に働いていたのか?>
「はい、はい、女の子のためなら見境ないから」
「む・・・反論できないなぁ」
「叶うなら私はいきたくないんですよ」
「デューク・・・」
「ま、敬愛する命を捧げた主のためですから」
その日、彼は彼女に出会った。
可憐な少女、愛らしい乙女、確かにそうだろう。
「いや・・これは・・・」
天空に浮かぶ巨大な島にある天照帝の居城の一角でアステリアと対面したデューク・セレイシュールは身の毛がよだつ、悪寒に身震いしてしまった。間違いのない恐怖がある。
「はじめましてアステリア姫、デューク・セレイシュール、お迎えに上がりました」
「ありがとうございます。わざわざすみません」
「いえいえ、こちらの城は御疲れではないですか?」
「ハイ、大丈夫です」
「それは良かった。正式な入城は後日になりますが、明朝こちらを出発します」
時の女神・・・そんな雰囲気に臆している自分が悔しかった。主と同じ匂がする。それをわかっているからアステリアもシリアスな妖艶な微笑みを返すのだった。
「アンソニー様、いいえオスカル王子殿下は姫様が天照陛下に悪戯されていやしないかと心配しておいでで下よ」
「まぁ、よくしていただいておりましたのに」
「あの人は大事なものを人の手に預けるのが不安なのですよ」
とても妖精の様だとは言えない瞳をしている。
「・・・私は幼い頃、オスカル王子様、アンネローゼ王女様と出会いました。その日から私は終生の忠誠を誓い、今日まで生きて来たのです」
増え続け、途中で白紙になっていく 時のアルバムを噛み締める。
「あの時にアンネローゼ様から言われたのです、<オスカル様を頼む>と・・・」
このことを知るものは当の本人たち以外では最初で最後の女性である。
「血を残してはくださらないのですか?」
彼女には総てが見えている。ためらいがちな男の瞳には自分は映っていない。
「姫様・・・」
「今の私には子を産めません。ですが、いづれ時が満ちればあの人の子供を産みます」
デュークは声が出なかった。
あどけない少女はアンソニーに似た香りが漂っている。
それが何なのかは言葉にしては消えてしまいそうなもの。
「貴女様は・・・私は分不相応な恋をしました・・・結ばれることのない女性と・・・」
「私、私は・・・」
ふらっと意識を失って彼の腕の中に崩れ落ちる。綿のように柔らかくて軽い存在。心にはとてつもなく重いものを感じる。人以上のものだからか?
『巫女の力か?アンネローゼ様のようだ』
「ありがとう、少しめまいがして・・・」
「お疲れなのでしょう」
ファティマと接しているということを忘れていた。彼女の発言の重みも。得体がしれないのに恐怖以上の妙な感覚が心の中から湧き出してくる。
アンネローゼにはこういう接し方はできなかった。本来もっと重い女性なのだが。
より一層、この少女に対する思いが複雑になる。
『アンソニー様、貴方は誰をパートナーにしたのか分かっているのですか?』
この後、天照帝の化身、レディオス・ソープと共に民間船でバイストンウェルへと向かう。
彼女が愛しい男の胸に飛び込むまでにあと少し。
◆
水晶の街を眺めながら七つの丘を越えて宮殿へと入っていくランドカーに彼女は乗っていた。
車を降りてデュークと共に庭園を歩く。
「どうしてこのクリスタルパレスには松林があるの?」
少女の素朴な質問に侍女たちは首を傾げてそう言えば変かもしれないって思い当たったようで答えられない。
「ほえ・・・」
「姫様、アンソニー様が言ってみえました、<水晶の世、松の世>と、ね」
「デューク様」
「何のことでしょうね」
「不思議な響きがありますね」
「閣下がお待ちですよ、ほら」
アステリアはにこにこしている青年の横で足を止めた。
彼女たちの向こうに手を振って走ってくる影がある。
「お転婆な王子様の登場だ」
「オスカル様」
「アステリアーーーーーーっ!!」
困った人だという顔をして腕を組むデュークに、よっと挨拶をすると少女を抱き締めてダンスを踊っている。
「これはまた声を張り上げて、クリスタル伯爵ともあろう御方が」
敵が見ていたらどうするんだろう。何のために別口で入国したのやら。頭を掻くしかなかった。